一、宇宙の本源は活動力にして即ち神なり。

一、万物は活動力の発現にして神の断片なり。

一、人は活動力の主体、天地経綸の司宰者なり。活動力は洪大無辺にして宗教、政治、哲学、倫理、教育、科学、法律等の源泉なり。

一、人は神の子、神の生宮(いきみや)なり。しかしてまた神と成り得るものなり。

一、人は神にしあれば神に習いてよく活動し、自己を信じ、他人を信じ、依頼心を起こすべからず。

一、世界人類の平和と幸福のために苦難を意とせず、真理のために活躍し実行するものは神なり。

一、神は万物普遍の活霊(かつれい)にして、人は神業(しんぎょう)経綸の主体なり。霊体一致して茲に無限無極の権威を発揮し、万世の基本を樹立す。
〜『霊界物語』第67巻第6章「浮島の怪猫」〜
 天地剖判に先だち、宇宙の大元霊たる無声無形の一神ありけり。これを神典にては、天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)と称え奉り、神界にては大六合常立尊(おおくにとこたちのみこと)と申す。西洋にてはゴッドといい、仏教にては阿弥陀如来という。漢土にては古来、天帝または天主という。…

 天主は、過去・現在・未来に一貫して無限絶対、無始無終の大神霊にましまし、その絶対の霊威を発揮して宇宙万有を創造したもうた。
〜『霊界物語』第3巻第50章「安息日」〜
 祈りは天帝にのみすべきものである。他の神様には礼拝するのである。私はそのつもりで沢山の神様に礼拝する、そはあたかも人々に挨拶すると同様の意味においてである。

 誠の神様はただ一柱しかおはしまさぬ、他は皆エンゼルである。
〜「祈りは天帝にのみ」『水鏡』〜
 半可通的論者は、日本の神道は多神教だからつまらない野蛮教だと言っているが、かかる連中は我が国の神典を了解せないからの誤りである。独一真神(どくいつしんしん)にして天之御中主大神と称えたてまつり、その他の神名はいずれも天使や古代の英雄に神名を付されたまでである事を知らないからである。

 真神は宇宙一切の全体であり、八百万の神々は個体である。全体は個体と合致し、個体は全体と合致するものだ。ゆえに、どこまでもわが神道は一神教であるのだ。
〜「瑞言祥語」『出口王仁三郎全集5』P555〜
 真の神は愛善と信真の中にこそましませ、自愛や偽信の中にましますはずはない。かかる自愛や偽信の中に潜入する神はいわゆる八岐大蛇(やまたのおろち)、悪狐(あっき)、悪鬼、餓鬼、畜生の部類である。
〜『霊界物語』第47巻第9章「愛と信」〜