左上の書…出口王仁三郎・揮毫「光」(個人所有のものを許可を得て使用しております)

- 霊界の構造 -
霊界の構造
 宇宙には霊界と現界との二つの区界がある。しかして霊界にはまた高天原(たかあまはら)と根底の国(ねそこのくに)との両方面があり、この両方面の中間に介在する一つの界があって、これを中有界(ちゅううかい)または精霊界というのである。

 …人間は霊界の直接または間接内流を受け、自然界の物質すなわち剛・柔・流の三大元質によって、肉体なるものを造られ、この肉体を宿として、精霊これに宿るものである。その精霊は即ち人間自身なのである。要するに人間の躯殻は精霊の居宅に過ぎないのである。この原理を霊主体従というのである。…

 要するに人間は霊界より見れば即ち精霊であって、この精霊なるものは善悪両方面を抱持している。ゆえに人間は霊的動物なると共にまた体的動物である。精霊はあるいは向上して天人となり、あるいは堕落して地獄の邪鬼となる、善悪正邪の分水嶺に立っているものである。

 しかして大抵の人間は神界より見れば、人間の肉体を宿として精霊界(中有界)に彷徨しているものである。
〜『霊界物語』第48巻第1章「聖言」〜
 天の八衢(あめのやちまた)は高天原にもあらず、また根底の国にもあらず、両界の中間に介在する中ほどの位置にして即ち情態である。人の死後直ちに到るべき境域にして、いわゆる中有である。

 …八衢は一切のものの初めての会合所であって、ここにてまず霊魂を試験され準備さるるのである。人霊(じんれい)の八衢に彷徨し居住する期間は必ずしも一定しない。直ちに高天原へ上るのもあり、直ちに地獄に落ちるのもある。
〜『霊界物語』第42巻「総説に代へて」〜
 霊界は想念の世界であって、無限に広大なる精霊世界である。現実世界はすべて神霊世界の移写であり、また縮図である。霊界の真象をうつしたのが、現界、即ち自然界である。ゆえに現界を称してウツシ世と言うのである。
〜『霊界物語』第21巻総説〜
 すべて神が一物を造りたまうのには、たとえ、一塊の土を造るのにも、三元八力(さんげんはちりき)という諸原素、諸霊力によられるのであります。剛、柔、流の三元(鉱物、植物および動物はこの原素よりなっている)と八力(溶かす力、和す力、引張る力、ゆるむ力等八つの力)をもって、一つの物が造られているのであります。そして人の身体もその如く出来ているのでありまして、そこへ一霊四魂(いちれいしこん)という魂、即ち勇智愛親(ゆう・ち・あい・しん)の働く所の魂を、お与えになっているのであります。

 一霊は直日(なおひ)の霊である、四魂の荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、奇魂(くしみたま)、幸魂(さちみたま)は四つ個々別々にあるのではなく、これは智である、これは愛である、これは親であるなど、その魂の働きをいいあらわしただけで、元は一つであります。その時のいわゆる心境の変化で、勇となり、智となり、愛となり、親となるのであつて、本当は一つのものであります。直日の霊、これ一つが本当の心なのです。
〜「皇道大本は宇宙意志の表現」『出口王仁三郎全集2』P88〜
 現界におる人の意志想念は、天国にも通ずるものである。生き残っている子が信仰を励めば、それが親に通じて、幽界にある親の意志想念もだんだん向上して行くものである。これ追善供養が大切な理由である。

 供物は誰の手でしても同じであって、お寺に納めてお坊さんに供養して貰おうが、神主に頼んでお供へして貰おうが、それはみな天国に届くのである、なぜならば、こちらの意志想念は死者に手向けるつもりであるから。
〜「追善供養」『水鏡』〜
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