左上の書…出口王仁三郎・揮毫「光」(個人所有のものを許可を得て使用しております)

人生論

 人は水の流れるように生活すればよろしい。水は流れやすい方向を選んで、いと自然におのが途(みち)を開いて進み行く。途中、障害物に突きあたる事があると、またいと自然に方向転換をやって進みやすい道を進んで行く。これが処世法の秘訣である。

 自然に逆らって低きにつかんとする水を高所に上げようとするような生活は、労多くして功がすくないものである。
〜「人生の諸問題」『水鏡』〜
 人生の目的は地上に天国をひらくためであるから、魂を汚がさんようにすることが一番大切な事である。刀身がゆがむと元のさやに納まらない如く、魂が汚(けが)れ、ゆがむと元の天国にはおさまらぬ。

 人間にとって一番大切な事は何といっても生きているうちに死後の存在を確かめておく事である。死後の世界が分かると五倫五常が自然に行える。倫常を破るという事は自分の損になる事がハッキリ分かるからである。

 人間は死後の世界を研究してから仕事をするがよい。私は人生問題になやんである時は爆弾を抱いて死んでやろうかとさえ思った事がある。神様の御恵みによって何もかも知らして頂いて歓喜に満ちた生活に入る事が出来たのであるが、当時の悩み悶え、苦しみ、幾度か死を考えた事ほど、それが痛切であったのである。
〜「有難き現界」『月鏡』〜
 「宿命」とは人間各自が先天的にもって生まれた境遇であって、後天的にどうする事も出来ない境涯をいうのである。

 「運命」は努力次第で無限に開拓して行けるものである。
〜「宿命と運命」『水鏡』〜
 運命というものは、自分がつくって行くのである。「運」という字は「はこぶ」と訓む。こちらから運んで運命を展開して行くのであって、自分の思わくの立つように、自分から仕向けて行くのである。そういう人を神様はお助けなさるのであって、棚から落ちて来る牡丹餅を待っているような人は、いつまで待っても運が開けることは無い。幸運は運ばねば得難いものである。
〜「運は人が作る」『水鏡』〜
 生命は永久に存続するもので、過去、現在、未来の三世にわたって生きている。吾々生物の生命は絶対不変無始無終にして、神の分霊分身である。ゆえに永遠にわたって不老不死である。…

 無限の生命、そこに吾人が絶対不断の生命を見いだして、永久に生きる事を悟った時、吾々の眼前に展開されるものはすべてが試練であり、すべてが教訓である事が覚り得られる。

 吾々が人間として世に処するその間の出来事を見ても、幾多の曲折があるので面白い。その当時は欲求に満たない、いわば一種の苦痛として痛ましい事であったその試練されたことを、時過ぎてから想い出した時に、みなそれは追憶となって美しき過去を見る事が出来る楽しさがある。

 過去の悲惨なりし歴史も、甘かりし恋路も、得意も失敗も幻の如く現実に浮かんで来るごとに、一種の愉快さを覚ゆる。そして過去から現在未来へと永遠無窮に生命が継続されつつ天国の果てなき国へと進んで行く。これが人生永遠の生命だ。

 自分は今までの体験から考えると、吾々の過去は真に美しかった。貧乏で食うや食わずの危機に立ったことも、冤罪を被って獄舎に自由を束縛されていた事も、世間のあらゆる嘲笑讒誣(ざんぶ)の的となったことも、過去の歴史の一頁として語る時、それはみな美しい、そして楽しい。

 たとえ貧乏生活でも悲惨の境遇でも、それを永続した時は勝利となって来る。勝利は常に正義である。社会から何ほど嘲罵され、侮辱され、批難されても、それ自体が永続したら、必ず末には正道として認めらるる事になる。現代人の大本に対する総ての観念も、今や勝利者として遇するに至ったのは、吾人が永遠の生命を確信して不断の活動を続けて来た活歴史の賜(たまもの)であるともいえる。
〜「生命」『水鏡』〜
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