左上の書…出口王仁三郎・揮毫「光」(個人所有のものを許可を得て使用しております)

教育論

国依別(くによりわけ)『…現代のような教育のやり方では、床の間に飾る盆栽は作れても、柱になる良材は出来ない。野生の杉、桧、松などは少しも人工を加えず、惟神(かんながら)のままに生育しているから立派な柱となるのだ。

 今日のように児童の性能や天才を無視して、圧迫教育や詰込教育を施し、せっかく大木になろうとする若木に針金を巻いたり、心(しん)を摘(つ)んだり、つっぱりをこうたりして、小さい鉢に入れてしまうものだから、ろくな人間は一つも出来やしない。

 惟神に任して、思うままに子供を発達させ、智能を伸長させるのが真の教育だ。…』
〜『霊界物語』第69巻第3章「喬育」〜
問『子供の教育は放任主義がいいのですか。』

答『全くかまわん方が一番いい。好きなようにやらかした方が良い。植木鉢の木よりも谷間の木の方が何ほど役に立つか判らんからのう。ひねくれてしまったら何にもならん。そんな事は教育ではない。

 子供の教育は学校と家庭ですべきで、学校の教育は厳しいから、家庭は本当に自由な天国にしておいてやらねばいけない。でないと親の前では行儀が良くて人の居らぬ所で悪い事をやる。子供はひがませんようにせないかん。やんちゃをようせんような子供は、学校の成績は良くても人に使われるような者にしかならん。大金持ちなどで学問のある人はない。昔から学者の取った天下なしという事がある。…

 …つめ込み主義はいけない。今は課目が多過ぎていかぬな。すべて天才教育でなければだめだ。一つか二つ好きなものをやらせる。書でも絵でも、歴史でも、文学でも何でも、その子の好きなものを、それだけやらせれば、一人前の者になるけれども、今の教育はそれをやらぬ。間口だけ広くして奥行が少しもない。…

 一つ道をズッと行きさえすれば、それに関連して他の事は覚えるものや。どんな学問でもすべて付随しているものや。』
〜「愛児のために」『出口王仁三郎全集2』P627〜
 王仁(わたし)が子供の教育には放任主義をとれというのは、今日の児童教育があまり干渉がひど過ぎるから、その反動として云うので、やはり放任の中に干渉があり、干渉の中に放任があらねばならない。

 親が子供に、物を貰ってもすぐ両手を重ねてお礼を云うことを教えるが、あれなども乞食根性を強いるようなものであって、王仁は大嫌いだ。あまり親が子供に干渉し過ぎているのである。…年頃になれば礼儀などはひとりでに覚えるから、あまり干渉してはいけない。
〜「放任主義の教育について」『玉鏡』〜
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