左上の書…出口王仁三郎・揮毫「光」(個人所有のものを許可を得て使用しております)

笹公人さんインタビュー

(2010年3月吉日、インタビュアー・飯塚弘明)
── 今日は歌人の笹公人(ささ きみひと)さんに、出口王仁三郎に関するお話をうかがおうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
【笹】 よろしくお願いいたします。
歌人 笹公人さん
【笹公人さんのプロフィール】
歌人
○1975年7月8日東京生まれ。
○14歳の頃、YMOに衝撃を受け、音楽に開眼。
○17歳の頃、寺山修司の短歌を読んだことがきっかけで、作歌を始める。
○1999年、「未来短歌会」に入会。岡井隆氏に師事。
○2003年、第一歌集『念力家族』(インフォバーン)が発売。
○2004年、未来年間賞を受賞。
○2005年、バラエティ作品集『念力姫』(KKベストセラーズ)、第二歌集『念力図鑑』幻冬舎)が発売。
○2005年度は、J-WAVE(81.3FM)「M+」の短歌コーナーを担当し、「爆笑問題のススメ」(NTV)短歌コーナーのスーパーバイザーも務めた。
○2008年、第三歌集『抒情の奇妙な冒険』(早川書房)、『笹公人の念力短歌トレーニング』(扶桑社)、絵本『ヘンなあさ』本秀康・絵(岩崎書店)が発売。映画『その日のまえに』(大林宣彦・監督)でスクリーンデビュー。
○『サイゾー』『わしズム』『SFマガジン』『小学六年生』『ネムキ』などの雑誌で連載している。
○テクノポップ・バンド「宇宙ヤング」で、ボーカル・作詞・作曲を担当。
○1998年、「ローランド・バンド・パラダイス」にてオーディエンス大賞を受賞。
○同年CDデビュー。ラジオDJ、作詞家としても活動している。
○NHK学園講師、朝日カルチャーセンター講師。
── 笹さんへのインタビューというと、短歌を詠むようになったのはいつ頃だとか、きっかけだとか、そういう質問が定番ではないかと思いますが、そういうインタビュー記事はネット上に沢山ありますので、そちらを読んでいただくことにして…… (その主なもの↓)  今日は趣向を変えて…王仁三郎が和歌(短歌)について言及した文章をいくつかピックアップして来ましたので、それの解説をしていただく、という形でインタビューを進めさせていただこうと思います。
 が、その前に、まず……笹さんが王仁三郎を知ったのはいつ頃でしょうか?
【笹】 高校時代に学研『ムー』の記事を読んで、ファンになりました。(注・1993年2月号の総力特集「巨人出口王仁三郎の黙示」)
── その記事には王仁三郎の予言のことがたくさん書いてありますが、予言者としての王仁三郎に惹かれたんでしょうか?
【笹】 いえ、違います。王仁三郎の計り知れないスケールの大きさです。
 生涯に短歌を100万首作ったとか、そういう桁外れのエピソードに惹かれました。
 皆さんが言うように、何千年に一人の大怪物ですね。
 そして桁外れのスケールでありながら、繊細な優しさを持っているところが魅力ですね。
 たとえば歌にしても、次のようなものがあります。

・白魚の柔(やは)き少女(おとめ)と指角刀(ゆびずもう)取りつつ勝たむ心起らず

・ひねもすを厩(うまや)につなぐ牛の仔を夕べ放てばよろこびはしるも

・親猫を忘れたるらし吾が膝にこころおきなく眠る仔猫は

 こういう歌も好きです。

・ころころと背筋つたいて首の辺(べ)に爆発したり風呂の湯の屁は

 道歌、予言の歌、シリアスな社会詠とかも沢山あるのに、こういうギャグのような歌もつくる。そのギャップが魅力的ですね。
 ちなみに風呂の中でおならをしたら前で爆発するのがふつうらしいのですが、王仁三郎は背中で爆発したという。
 念力で操っていたのか、このあたりも常人とは違いますね(笑)。
── 笹さんの第一歌集『念力家族』(2003年発行)を拝見しました。ベランダで妹さんがUFOを呼んだり、お父さんが植物と話せる機械をつくったり…これは実話?ですか???
【笹】 違います。僕には妹はいません。
 僕の歌は実生活を詠んだものはなく、ほとんど空想、妄想の歌なんです。
── 同書には「占星術」とか「前世」とか「守護霊」「ムー大陸」「ミステリーサークル」など、オカルティックなキーワードが沢山出て来ますが、笹さんご自身も不思議体験、神秘体験は豊富なんでしょうか?
【笹】 あまりありません。金色の大黒様が落ちて来たことくらいかな。
── え? 何ですか、それは?
【笹】 22歳くらいの頃、短歌が職業になるとは思っていなかったので、コピーライターの養成講座に通っていました。
 『短歌』という雑誌で「特選」に選ばれ、自分の部屋の中でそれを読みながら、短歌では食べていけないだろうな…と思っていたら、その時、部屋の中がピカッと光ったんです。
 で、気がついたら床の上に金色の小さな(1センチくらいの)大黒様が落ちていました。
── ど、どこから落ちて来たんですか?
【笹】 わかりません。どこからかテレポートして来たのかもしれません。
 その大黒様を見て、これは、短歌の道に進めってことだな…と直感したんです。
 そうしたら、その直後に、歌集を商業出版しないかという連絡がありまして(1999年のこと)、時間はかかりましたが、2003年に『念力家族』を出版することが出来ました。
 それも向こうから僕を探して来たんです。ホームページに僕の作品を無断で勝手にアップしている人がいて、それをたまたま見た編集者が、これは面白いといって僕のことを探し回り、やっと見つけて連絡して来たんです。
 いまは幻冬舎の名編集長ですけどね。
 大黒様はいまでも部屋に祀ってありますよ。
 横尾忠則さんのエッセイにもそっくりなエピソードが載っていて、意外とあることなのかな…なんて思いました。
── うーん……そ、それは……すごい体験ですね……(冷や汗)
◆   ◆   ◆
── では、出口王仁三郎の「和歌」に関する発言について、笹さんのコメントをいただきたいと思います。
◆以下の王仁三郎の発言は、読みやすいように仮名遣いを新仮名遣いに直したり、句読点や改行の位置を直してある。
 歌というものは、河水の流るるように滞りなく、すらすらと調(しらべ)が流れねばならぬ。下の句から上の句にかえって行くような歌は歌として面白くない。
 歌は歌ふものであるから、その事をよく考えて、どこまでもすらすらと調(しらべ)がよいように詠まねばならぬ。
 詩になれば少々どうなってもよいものである。
 (「和歌と調」『水鏡』)
── 「下の句から上の句にかえる歌」とは、どういう意味なんでしょうか?
【笹】 下の句で上の句を説明している歌、という意味ではないでしょうか。
 下の句を読んで、はじめて上の句の描写を読み解けるとか、ようするに「調べ」よりも「意味」を重視した歌のことかと思います。
 調べよりも意味を重視した歌は面白くない、理屈や意味にとらわれるな、と言っているのだと思います。
 歌を詠む秘訣は水の流るるがごとく、ただ安らかにというのにある。
 瀬がきつければかたえの水は逆流する。そんな歌の詠み方はいけない、安らかにそして落ち着く所へ落ち着けばよいのである。
 上手に詠もうと思うから詠めないのである。
 また歌はどんな歌でもその底に淡い恋心が流れていなければならないものである。
 (「和歌について」『月鏡』)
── 「淡い恋心」と言っていますが、これは?
【笹】 詠む対象への愛情だと思います。
 詠む対象に愛情がないと乱雑な歌になりがちなので。
 近代短歌も現代短歌も、人を揶揄する歌とか、攻撃する歌が少なくありませんが、それを戒めているのかも知れませんね。
 あるいは、恋愛のようなドキドキワクワク感をもって歌を詠め、といっているのかも知れません。
 自分が楽しまないで読者を楽しませることなんてできないですから。
 和歌を詠むものは伊勢物語をよく読まねばならぬ。伊勢物語は万葉集、古今集等よりも歌人にとっては重要視せなくてはならぬものである。
 (「伊勢物語と和歌」『玉鏡』)
── 『伊勢物語』はお読みなったことはありますか?
【笹】 むかし読みました。物語と和歌が一体になった「歌物語」の代表的存在ですね。
 在原業平(ありわらのなりひら)がモデルになっているので、ほとんど色恋沙汰の歌ですが、先ほどの「淡い恋心が流れていなければならない」ということに通じるものがあります。
 英雄 閑日月ありといって、いかに重大事に直面しても悠々歌を詠むくらいの余裕がなくてはならぬ。常に風流心があれば事に慌てぬものだ。
 和歌は大和魂を練る最も穏健な方法である。和歌をやれば胴がすわって来る。
 (「悠々自適」『玉鏡』)
── 「和歌をやれば胴がすわってくる」と言っていますが、笹さんは歌を詠むようになって、性格とか心境とか変化しましたか?
【笹】 う〜〜ん、あまり…(笑)
 僕はあまり実生活は詠まず、ほとんど空想、妄想の歌なんですが、実生活を詠む人だと、何か嫌なことがあっても、これは歌に出来る、いい歌が詠める、と心の切り替えが出来るかも知れません。
 王仁三郎はモンゴルに行って処刑されそうになった時、悠々と辞世の歌を詠み、ついでに他の人の辞世の歌も詠んであげたような人です。
 そういう、いつでも慌てない心を持て、どんな時でも歌が詠めるような肝っ玉を持て、ということを逆説的に言っているのではないでしょうか?
 「胴がすわってくる」…歌人はあまりそういうイメージの人はいませんね(笑)。
 王仁三郎が持っている歌人のイメージは素盞嗚尊のようなイメージではないでしょうか?
 現代の歌人とはちょっとギャップがあると思います。
 霊界物語を口述するような調子で王仁(わたし)が和歌を詠むのならば、一ケ月一万五千首は楽なものだ。一日に五百首、それは何でもないことである。
 歌を作ろうと思えば、見た通りのことを一つ詠めばよい。何もかも一つの歌に入れようとするから苦心するものだ。
 初めて歌を作る人はあまり道具が多い。推敲すればかえって悪くなる事がある。
 歌はサラッとした方がよい。歌は巧(たくみ)だけではいけぬ。末代に生きるものでなくては本当ではない。一首でもよい。こんな歌を残さなくてはいかぬ。
 (「作歌の法」『玉鏡』)
── 「見た通りのことを一つ詠めばよい」とは?
【笹】 これは短歌の本質を言っています。
 短歌は一点豪華主義です。幕の内弁当のようにあれもこれも入れると、読者がどこを読んでいいのかわからなくなってしまいます。詩の核となる部分は一つでいいのです。これはとても共感します。
 王仁三郎は、自叙回顧歌集では、いつ何があって、という報告の歌がほとんどです。こういう歌は下手な人が書くと目も当てられないものになるのですが、王仁三郎のは流石に高度です。無駄な言葉がいっさいありません。型がしっかりしている歌人ならではの歌です。
 あと、サービス精神が旺盛で読み飽きないところも凄いです。
── 王仁三郎が生涯に詠んだ歌は100万首とも言われ、本になっているものだけでも10数万首はあるそうです。
 ふつうの人はどのくらい詠めるものなんでしょうか?
 笹さんは一生にどのくらい詠めそうですか?
【笹】 書物として残せそうな歌は……長生きしたとして1万首いかないと思います。
 和歌即ち「うた」は敷島の道で風雅の芸である。気分がよい時は心から歌が出る。それで歌はサラッとした気分よいものでなくてはならぬ。泣く時は歌えないものである。
 しかるにこの頃の歌壇の歌は、生活を詠むのだといって、ジメジメとして瀕死の病人の泣きごとのようなことばかりを詠んでいる。それは本当の和歌ではない。
 王仁(わたし)が主宰している『明光』(文芸機関誌)の歌はいずれも明るい。信仰によって活動しているものの歌であるからである。
 今の歌壇の人は、明るい『明光』の歌の気分を諒解することが出来ずに嘘のやうに思つてゐる。それは地獄魂と天国魂とは心の置き所が違つてゐるからだ。心にもないことが歌へるものぢやない。ともかく床の間にでも掛けておかうといふやうな歌は今日の歌壇人の歌には殆んどない。
 (「明るいのが歌」『玉鏡』)
── 「気分がよい時は心から歌が出る」と言っていますが、笹さんはどうですか?
【笹】 やはりそうですね、心の調子がいいときは歌も出来やすいと思います。  ただ、僕は自分の気分を歌うことはありませんけど(空想の歌)。
── 逆に気分が悪い時はどうですか?
【笹】 気分が悪い時は何をやってもダメでしょう(笑)
 でも、辛い時にいい歌ができると言う歌人は多いですよ。そのあたりは、王仁三郎の目指した歌とは違うと思います。
 「ジメジメとして瀕死の病人の泣きごとのようなことばかりを詠んでいる」……これは昭和の始め頃の発言ですけど、今の歌壇も変わらないです。
 明るいおもしろい歌よりも、嘆きがあったり、お勉強の匂いがする歌の方が評価される傾向があります。
 歌詠み人には悪人がない。歌を詠まぬ人は油断がならぬ。ただ現代の歌人は力というものがない。
 とかく、デリケートな心の持ち主で、偏狭で、消極的で、女性的で、嫉妬深い傾向があるが、大本の歌人はご神徳をいただくから力がでてくる。
 わたしは芸術は宗教の母なりと主張しているのだ。言霊の幸はう国、神さまは歌をたてまつるのが、海河山野種々の供物よりもいちばんお気にいるのである。
 皆は、子の宗教宣伝には熱心であるが、親の芸術を忘れがちである。これではいかぬ。
 歌を詠まぬものは、いかなる力のある人であろうとも、だんじて神業の第一戦には立てぬ。そのつもりで各自勉強するがよい。
 忙しいからとか、下手だからだとか、上手に詠めたらだの、その「から」や「たら」がいちばんいけない。まずくてもだんだん詠んでおれはよく詠めるものである。
 神徳は努力の上に加わるのである。
 明光は月日の光に相応する。月日の光をうけぬものが、どうして神さまの御用に使えるものか。
 またわたしが皆に『明光』に出詠するようにというのは、その歌によって皆の心の動きを見てよくしてやろうと思うからである。
 (「歌を詠まぬものは」『明光』昭和10年5月)
── 歌を詠む人には悪人はいない?(笑)
【笹】 まあ、たしかに、悪い人は少ないと思いますね。
 歌人が強盗したとか、そういう話は聞いたことがありません(笑)。
 ほとんどの歌人は、真面目で地味でお勉強好きですからね。
 ただ、悪いことをしたあとに刑務所に入ってから短歌を始める人は多いですね。
 短歌はお金にならない世界です。お金にならないことを一生懸命やる人に、そんなに悪い人はいないんじゃないでしょうか。
 歌を詠む人は、金銭欲、物質欲ではなく、精神的な喜びにつながることを一番にしているんじゃないかと思います。
 でも、名誉欲でやってる人はいるのかな。
 そういうのは二流、三流どころの歌人でしょうけど。
── どうもありがとうございました。王仁三郎の歌について、理解が深まりました。
◆   ◆   ◆
── ところで笹さんは出口汪(でぐちひろし)さんと昔からお知り合いだったそうですね?
【笹】 高校時代に学研『ムー』で王仁三郎の記事を読んだ後のことです。予備校(東進ハイスクール)に出口先生という現代文のカリスマ講師がいて、その人が王仁三郎の曾孫の汪さんだったんです。それで王仁三郎のことを聞きに行きました。勉強のことは聞かずに、王仁三郎のことばかり聞きに行っていました(笑)。
 それでインパクトがあったんでしょうね、卒業後も汪先生と交流があり、「またいとこ」の出口光さんを紹介して頂きました。
 光さんから「辞世の歌を詠めるようになりたいので短歌の教室をやってもらえませんか」とありがたいご依頼を頂き、「天命歌会」(会長・出口光)の講師をさせて頂くことになりました。
 今年で4年目になります。
── 天命歌会の合同歌集『パンドラの箱』(オンブック)の解説で、監修者の笹さんが王仁三郎について次のように書いています。

 「王仁三郎の歌業は大本教弾圧事件がきっかけとなり、短歌史から抹殺されてしまった。こんなに素晴らしい歌を詠んだ歌人が忘れ去られているというのは、短歌界にとっても損失であると思う。王仁三郎の短歌はいまこそ再評価されるべきである。」(P136)

 素人からみると、王仁三郎の歌はそんなにすごいのかな、と思ってしまいますが。
【笹】 一見誰にでも作れそうな歌が多いのですが、よく読むと実はすごくテクニカルなんです。
 上手い歌をつくろうと思えば、いくらでもつくれた歌人だと思いますね。
 そのへんが恐ろしいです。
── 笹さんが王仁三郎について詠んだ歌を2点ほど掲載させていただこうと思いますが、その解説をお願いします。
思い見よ王仁三郎の乳しぼり おれとおまえの大アジア主義

閉ざされた岩戸の隙間に手を入れてこじあけたのは王仁三郎か
◆この二つの歌は歌集『念力図鑑』(幻冬舎)と『抒情の奇妙な冒険』(早川書房)に収録されています。
【笹】 一首目の歌ですが、王仁三郎はモンゴルに行ったり、頭山満や内田良平と交流があったりして、アジア重視的なものがあり、そこに僕はロマンを感じています。
 そういった大きなスケールを持ちながらも牛の乳搾りを好んでするような…
 英雄豪傑でありながらも繊細な優しさを持っているという王仁三郎の特徴を詠んだ歌です。
左から出口王仁三郎、頭山満、内田良平
牛を飼う出口王仁三郎(昭和10年秋)
 二首目の歌は、そのままストレートな歌です。
 天照大神の入った天の岩戸を開くのは素盞嗚尊の役目ですが、近代においてその役割をしたのが王仁三郎だと思っています。そういう歌です。
◆一般に岩戸を引き開けたのは天手力男神(あめのたぢからおのかみ)とされるが、それも含めて天の岩戸を開くための神々の活動、即ち暗闇の世から光明の世へ世界を救うのは、スサノオの役目である、というのが王仁三郎の思想である。ちなみに古事記で一番最初に出てくる短歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を」はスサノオが詠んだ歌であり、スサノオは歌の神様でもある。
── 笹さん、本日はどうもありがとうございました!
おわり
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