左上の書…出口王仁三郎・揮毫「光」(個人所有のものを許可を得て使用しております)

上本雄一郎さんインタビュー

(2010年5月吉日、インタビュアー・飯塚弘明)
──本日は「出口王仁三郎」で博士号を取った希有の宗教学者、上本雄一郎(うえもと ゆういちろう)さんにお話をうかがいます。
 どうぞよろしくお願いいたします。
【上本】 よろしくお願いいたします。
宗教学者 上本雄一郎さん
【上本雄一郎さんのプロフィール】
宗教学者

○1979年、広島県生まれ。
○京都大学大学院博士後期課程修了。
○出口王仁三郎に魅せられて『霊界物語』を愛読するようになり、その成果を「『霊界物語』に見る大本教の民衆性――出口王仁三郎の近代批判」(京都大学大学院人間・環境学研究科博士論文、2008年11月)にまとめる。
○このほか論文として、
  • 「〈日の神学〉か〈月の神学〉か――出口王仁三郎のスサノヲ神学」(『あらはれ』第十号、猿田彦大神フォーラム、2007年10月)
  • 「出口王仁三郎と笑い――『霊界物語』とことば遊び」(『笑いの世紀――日本笑い学会の15年』日本笑い学会編、創元社、2009年)
  • 「声と身体性――戦前期大本教の『霊界物語』をめぐる実践」(『文明と哲学』第二号、燈影舎、2009年11月)
  • 「出口王仁三郎のユーモア――その作品と〈屁〉」(『国文学 解釈と鑑賞』第七十五巻五号、ぎょうせい、2010年5月)
などがある。
○現在は郷里で家業を継承。
──上本さんは2008年に出口王仁三郎の研究で博士号を取っておられます。王仁三郎で博士号を取った人は珍しいのではないでしょうか?
【上本】 ほかにも何人かいます。近年では広瀬浩二郎さん(国立民族学博物館民族文化研究部 准教授)とナンシー・K・ストーカーさん(テキサス大学オースティン校アジア史学科 准教授)がいます。

 広瀬さんの「宗教に顕れる日本民衆の福祉意識に関する歴史的研究」(京都大学大学院文学研究科、2000年2月)は、『人間解放の福祉論――出口王仁三郎と近代日本』(解放出版社、2001年)のもとになった研究であり、『霊界物語』を初めて主題に据えた研究であり大変な労作だと思います。個人的には大本教研究史を画する著作だと思っています。

 はじめて読んだとき、わたしは感極まって泣いてしまいました。研究書を読んで涙が出てきたのははじめてなのでよく覚えています。

 ナンシーさんの博士論文は、"PROPHET MOTIVE: Deguchi Onisaburo and the Transformation of Religion in Modern Japan"(直訳すると"預言者の動機──出口王仁三郎と現代日本宗教の変化")です。原著を見るかぎり、2002年8月にスタンフォード大学から哲学の博士号を取得されたようです。

 この研究を基に若干加筆したものがタイトルを若干変えてアメリカで刊行され、それが『出口王仁三郎──帝国の時代のカリスマ』(原書房)として昨年わが国で翻訳・出版されたということみたいです。宗教博覧会に注目した点で画期的な研究ではないかと思っています。(注・日本語版の著者紹介の欄には「歴史学の博士号を取得」となっているが「哲学」の誤りではないかと思われる)
──上本さんはなぜ、出口王仁三郎を研究しようと思ったんですか?
【上本】 う〜ん、むずかしい質問です。じっさいどうしてなんだろうと考えるのですが、おそらくはさまざまなご縁をいただき、いろんな人に背中を押されるかたちで、結果として出口王仁三郎の研究にたどり着いた…そういうことじゃないかなと今は思っています。

 出口王仁三郎の名前だけは、高校生の頃には知っていました。近代の日本史にはけっこう関心があったんです。最初はその名前に注意を惹かれました。「王仁三郎」と書いて「おにさぶろう」と読ませるなんて、なんか思わせぶりだなぁと。それで、どこかしら「いかつい男」なんじゃないかなと、とりとめのない想像をしていました。この時はそれだけのことです。

 そんなわたしが出口王仁三郎という人物に惹かれ、もっと勉強してみたいと思うようになったのは、たしか大学三回生のときのことです。

 わたしの通っていた大学(早稲田大学政治経済学部)に、鎌田東二先生(当時は武蔵丘短期大学 助教授、現在は京都大学こころの未来研究センター教授)が「比較宗教学」を教えに来ていて、学生の間でかなりの評判を呼んでいました。授業中にほら貝を吹いたりして話がおもしろいうえに、なんと単位も取りやすい、と(笑)。それでその授業を取ったんです。

 しかし、ただ楽をして単位を取るというのはどうも嫌だったので、毎回、鎌田先生の本をちょっとずつ読んでは講義に出席するようにしていました。このときに先生の『神界のフィールドワーク――霊学と民俗学の生成』(青弓社、1987年)や『記号と言霊』(青弓社、1990年)や『宗教と霊性』(角川書店、1995年)などを読みました。

百鏡
瑞能神歌 一人百首カルタ 百鏡』(大本教典刊行会・発行)
 一般的な百人一首カルタのように、読み札と取り札がある。読み札には王仁三郎の写真と上の句・下の句が印刷され、取り札には下の句のみが印刷されている。(クリックで拡大)
 すると大本教や出口王仁三郎について、予想もしなかったような興味深い事実がいろいろ記されている。王仁三郎の各種の言霊実践や変身像や、一人百首百態カルタ『百鏡』(右の写真)の存在を知ったのもこの時です。多芸多才でありながら、どこまでも謎めいた部分を残し続けている、王仁三郎というのはずいぶん型破りな宗教家であり、おもしろい人物だなぁと感じました。この人には何かある、そう思わせるものが王仁三郎にはあります。

 それである日、「先生、出口王仁三郎についてもっと知りたいんですが、何を読んだらいいでしょうか」と質問に行くと、「そりゃなんと言っても『霊界物語』を読まないといけないよ」と言われたんです。それで、「よ〜し、それなら読んでみよう」と思っちゃいまして、読み始めたわけです。わりと単純な学生ですよね(笑)。

 その後、図書館にこもって『霊界物語』を読むという日々を過ごしていました。たぶん一ヶ月くらいは続いたんじゃないかと思います。けれども、このときは「霊主体従篇」(霊界物語の第1〜12巻)の途中であえなく挫折してしまいました。読んでも読んでもなかなか先に進まないし、神様が多すぎてよく分からないなぁと思い、投げ出してしまったんです。

 それからしばらくは、大本教や出口王仁三郎とは縁遠い生活をしていました。

 転機が訪れたのは、大学院博士課程に進学してからです。このころから、自分が果たすべき使命というのは、学問研究という形で宗教や信仰の世界に関わることにあるのではないかと考えるようになったんです

 それで進学を機会にいよいよ宗教研究を始めようと思い、これまであまりなされてこなかった研究をしようということで、けっこう漠然と「大本系新宗教の研究」を始めたんです。

 はじめのうちは世界救世教の岡田茂吉(1882−1955)や生長の家の谷口雅春(1893−1985)らの大本系新宗教の教祖たちが、大本教あるいは出口王仁三郎からどのような思想的影響を受けているのかを調べて論文を書こうと考えていました。しかし、そのためには大本教や出口王仁三郎についてもっともっと深く理解していなければいけないなと思い当たったんです。

 それ以来、膨大な大本文献を毎日少しずつ読むようになりました。しかし、戦前期にかぎってみても大本文献は非常にたくさんあり、また先行研究も多いですから、読むだけでもけっこう大変なんです。それで指導教官の高橋義人先生(現在は平安女学院大学特任教授、京都大学名誉教授)にいろいろと相談にのっていただきました。

 そうした中で徐々にテーマが絞り込まれていき、最終的には、出口王仁三郎在世時代の大本教の特質を、『霊界物語』の研究を通じて明らかにしていくという方向性が見えてきたんです。

 それからというものは、毎日ひたすら『霊界物語』を読む、という生活を始めました。亀岡で開かれている「霊界物語拝読会」に加えてもらい、分からないことや質問したいことなどをいつもノートにメモしておいては、拝読会の時にみなさんに尋ねていました。

 こういうことを重ねているうちに、『霊界物語』を読むのが楽しくなり、『霊界物語』に対する理解も飛躍的に深まっていったように感じています。そしてその成果を博士論文にまとめ、大学院に提出することができました。
──上本さんの論文には、王仁三郎の「笑い」とか「ユーモア」という点に着目しているものが多いようですが、その理由は何でしょうか? (注・博士論文も全4章のうち第1章が「ことば遊び」など笑いについて論じている)
【上本】 『霊界物語』は一般にはおどろおどろしいものと受け止められる可能性がきわめて高いと思います。そのタイトルから、幽霊・心霊写真・霊能者などいかにも「いかがわしそうなもの」と容易に結び付けられるのではないでしょうか。

 実際に読んでみると、それも「如意宝珠篇」(霊界物語の第13〜24巻)あたりまで読んでみると、そうではないということが次第にはっきりしてきますけれども、かつてのわたしのように「霊主体従篇」の途中で投げ出したりすると、結局そういうイメージを持ったまま終わってしまう可能性があります。

 そういうイメージを突き崩すためにも、「『霊界物語』はおもしろいんだぞ〜」ともっと声高に叫びたいですね。

 このほかごく単純に『霊界物語』を読んでいると、いつも笑わされるといったことも理由の一つです。拝読会のときにみんなで交互に音読していると、一人で黙読するときよりも、いっそう激しく笑わされるように感じています。

 わたしは笑い上戸なのかもしれませんが、あまりにもおかしくて拝読の続行が困難になることがしばしばあります。声と声が共鳴するために、どうやら笑いも嵩じてくるようです。そういう『霊界物語』に触れた実体験を、論文として文字として表現して伝えたかった、ということかもしれません。
──笑いやユーモア以外に注目している点は何かありますか?
【上本】 「月の神学」とでも呼ぶべきものに注目しています。これは『霊界物語』口述開始とともに次第に前景化していったものであり、出口王仁三郎指導下の戦前期大本教の宗教運動の性格を再検討していくためにも、必要な視点なのではないかと思っています。(注・博士論文の第4章で、月の神学に関して論じている)

 『霊界物語』第6巻第36章「三五教」において、「三大教」と「五大教」が合併する形で「三五教」(あなないきょう)が誕生しますが、この神代の大本教として位置づけられる三五教は、「月」をトレードマークとしていますね。

 『霊界物語』ではしばしば三五教の教義が「三五(さんご)の月の御教(みおし)え」と表現されています。これは三五教の宣伝使たちが歌う「宣伝歌」(言霊を活用させた七五調の歌)に頻出します。

 現在刊行されている『霊界物語』には「出口王仁三郎著」と記されていますが、戦前刊行された『霊界物語』第1巻から第72巻の表紙には、はっきり「出口瑞月(ずいげつ)口述」と記されています。

 わたしが考えるに、これは、実のところ「〈瑞月〉という号を持つ者、すなわち、〈月〉をその象徴とする〈瑞霊〉の顕現である王仁三郎が口述した」ということを示しているのではないのか。あるいは「〈瑞霊〉、すなわち〈月の大神〉の顕現である王仁三郎が口述した」という事態を指示しているのかもしれません。

 「三五教」の「三五」(あなない)というのは、「十五夜の望(もち)の月」を示しています。「3×5=15」であり、三五の月とは「満月」のことです。『霊界物語』では時折「穴無い教」と揶揄されはしますが、王仁三郎はそれを「穴が無い」(欠けていない)、完全無欠あるいは円満晴朗な教えとして描き出していると見ることができます。

 この三五教を主宰するのが、スサノヲです。「記・紀神話」を見ますと、スサノヲはアマテラス体制に対する「反逆神」にして天界から追放された「さすらい神」であるという印象を持ってしまいがちです。

 しかし、王仁三郎の『霊界物語』では、スサノヲが各地に自身の分身分霊である宣伝使を派遣して、救世のための活動を展開していく。そのためにスサノヲ自身も変幻自在な動きをして三五教の宣伝使を指導していく。そこには荒ぶる神々や自暴自棄な人々が数多く登場しますが、最終的には生きた言霊、具体的には和歌や七五調の歌(宣伝歌)によって救われていく。このようなストーリが、きわめて情感豊かに展開されたという点に、歴史的社会的に見た場合の、『霊界物語』の独自性があるように思えます。

 戦前期の日本では国家神道体制の創出した「日の神学」が猛威を振るいました。これは、「万世一系」という理念に基づいて、天皇を皇祖神・アマテラスと強引に直結させ、天皇を「現人神」として絶対化するというもので、「宗教」(公認宗教および類似宗教)に対して高圧的かつ抑圧的に作用しました。けれども人心は荒び、世はすっかり常暗と成り果てている──出口王仁三郎はこのように考え、この暗い時代を柔らかく照らし出すことに「三五の月の御教え」たる大本教の使命を見出していたのではないかと思われます。
──近代日本は三回ほど宗教ブームがあったと言われ(幕末・明治期、昭和20・30年代、昭和50・60年代)、次々と新しい宗教が誕生してきました。現代の日本は長期間にわたって景気が低迷し、毎日100人近い人が自殺するなど、人々が宗教を求めたくなるような社会状況にあるように思います。しかし実際には、宗教が流行っているという話はあまり聞きませんし、新しい宗教が誕生したという話も聞きません。これは何故だと思いますか?
【上本】 むずかしいです。ある歴史的社会的文脈が教祖を生み新宗教を誕生させるのだとすれば、ひとまずは現代日本社会がかつての新宗教ブームの時代とはかなり異なる文脈にあると見なせます。

 たとえば、この20年、30年の期間で日本社会は劇的に変わってしまい、新宗教が生まれにくい環境になったということなのでしょう。どのように変化して何が原因となっているのか、にわかには判断しがたいです。

 ともかく現代日本は、個人がゆるやかに(脱教団的に)「スピリチュアリティ」を探求する時代を迎えています。人々の救い主を求める気持ちや切実なる救済願望が、一つの社会的な情念というか想念の渦となり、それが天啓の降下を促しているのだとすれば――非研究者的な想定かもしれませんが――、現代は「救済」などということ自体がさほど問題視されない時代なのかもしれません。
──宗教はもう求められていないのでしょうか? これからの日本の宗教はどのようになってゆくと思いますか?
【上本】 多くの教団が後継者育成や活動者数の減少といった問題に直面しており、教団としての「宗教」の影響力の低下が危惧されている半面で、「宗教的なもの」を求める個人は増加していると思います。今後さらに増えていくのではないでしょうか。

 一般に、教団宗教に対する風当たりは、それが伝統宗教であれ新宗教であれ、かなり厳しいと思います。教団宗教には教義の伝達や魂の救済といった役割よりも、社会貢献活動などのほうが、現代ではむしろ期待されているようです。

 他方で、現代日本においては、アニメやマンガやゲームなど各種のメディアに「宗教的なもの」があふれ、全国各地の公民館やスポーツジムではヨガや太極拳の教室が人気を博しています。近年の書店における精神世界のコーナーの充実振りには目を見張るものがあります。このほか、たとえばスピリチュアル・スポットを巡ったり、自分自身を見つめなおすため等の理由で四国遍路に旅立つ人も着実に増えています。

 こうした状況というのは、人々の「現代的な意味での」宗教的ニーズに応えるべく、かつては教団の独占していた宗教資源を、さまざまな形に編集し発信していく行為主体が増えたということのみならず、個々人がきわめて自由に宗教資源(あるいは「宗教的なもの」)にアクセスできる時代を迎えたということを意味していると考えられます。

 向後、脱教団的あるいは非教団的なかたちでの「宗教的」活動や宗教情報の発信が、さらに活発に行われていくのではないかと見ています。「オニド」や「王仁魂復活プロジェクト」の活動も、こうした時代の流れに棹差すものではないかと考えています。
──ところで上本さんご自身の神秘体験とか、スピリチュアルな体験は、何かありますか?
【上本】 子どもの頃に家の近所でUFOは見たことがあります。全体は白っぽい感じで、淵は赤く、バイキンマンが乗っているような円盤型のUFOでした(笑)。しかしこの体験は宗教にはつながっていません。

 わたしは小さい頃から病弱で、一年に一度くらいは長期で寝込むようなことがありました。小学校高学年から中学校にかけての時代は特にひどく、自分は20歳までとても生きられそうにないなぁと子どもながらに考えていました。そういう人生の中で、命を救われたと思うような体験をしています。このときの体験が、宗教研究にたずさわるきっかけになっていると思います。
──今後、研究したいことや、やりたい仕事をお聞かせ下さい。
【上本】 いま少しずつですが、『霊界物語』を音読したものをテープに吹き込んでいます。あと何年もかかると思いますが、全巻録音したものを耳から聞けるようになると、きっと新たなる視点も開けてくるに違いありません。すでに広瀬浩二郎さんが『人間解放の福祉論』の中でそういう問題提起をしています。

 『霊界物語』は「言霊の書」ということですから、「声」に出して読み、「声」として聞くというのがいいんだと思うんです

 わたしは「霊界物語オンライン」(霊界物語の音読データを配布しているホームページ)で『霊界物語』をよく聞くんですが、聴覚的に『霊界物語』に接する場合、臨場感があり、イメージも広がりやすい気がします。ひとりで黙読しているときとはちがう楽しさがあります。

 王仁三郎自身、「黙読」ではなく「音読」を推奨していました。「音読することにより、文字は〈言霊〉となり、霊魂内に蓄積される」、王仁三郎はそう考えていました。

 『霊界物語』には、声に出して読むことにより、より深く味読できる固有の表現がたくさんあるように思います。ある種の「ことば遊び」とかはまさにそうですし、和歌や宣伝歌もそうです。音読することで感じ取れるリズムというのが『霊界物語』にはあります。

 ここ10年の間に「音読」が見直されてきているようです。斎藤孝さんの『声に出して読みたい日本語』シリーズ(草思社)は爆発的な売れ行きを見せましたが、『声に出して読みたい「霊界物語」』というのはどうでしょうか。そういう本が出版されてもよい時節を迎えているような気がします。『霊界物語』に接するためのさまざまな回路が開かれていくと、ひとり研究者のみならず、広くいろんな人に歓迎されると思うのです。
──上本さん、本日はどうもありがとうございました。
おわり
プリンタ用画面
(C)2010-2011 王仁魂復活プロジェクト