(2010年7月吉日、インタビュアー・飯塚弘明)
──今回は日本語・日本文化研究家の山口隆之(やまぐち たかゆき)さんにインタビューをお願いしました。
山口さん、よろしくお願いいたします。
山口さん、よろしくお願いいたします。
【山口】 よろしくお願いいたします。

【山口隆之さんのプロフィール】
○1964年8月17日、静岡県生まれ○日本語・日本文化研究家
○私立中学・高校の教師(現在は教頭)をつとめながら、日本語・日本文化の研究を続ける。
○専門は「モノ・コト論」。
○論文に「萌え=をかし論」(『國文學』第53巻16号2008年11月号)など。
○趣味・特技は音楽。古今東西の弦楽器。最近は特にバロック・ヴィオラ奏者として活躍中。
◆ブログ 「不二草紙 本日のおススメ」
●Web 0.0のデバイス●

富士吉田市に鎮座する北口本宮富士浅間神社の近くから見た富士山。同神社から吉田口登山道が延びている。

──山口さんは富士山北麓の山梨県富士吉田市にお勤めですが、私は数年前にそこに行ったことがあります。富士山がとても間近に大きく見える町ですね。
【山口】 はい、住んでいるのは鳴沢村です。富士山頂のある村です。「富士山に住んでいる」と言ってもいいと思います。富士山に住みたくて家を建てました。
もともと東京や静岡に住んでいたんですが、山梨の大学に入学してからずっと山梨に住んでいます。富士吉田市で25年近く働き、鳴沢村には12年前から住んでいます。
今日は富士山から見た大本の仕組(しぐ)みについてお話したいと思います。
日本地図を単純化して描くとタテの長方形とヨコの長方形が合わさったような形になります。(右の図を参照)
大本の教えではタテとヨコは重要な意味を持っています。
もともと東京や静岡に住んでいたんですが、山梨の大学に入学してからずっと山梨に住んでいます。富士吉田市で25年近く働き、鳴沢村には12年前から住んでいます。
今日は富士山から見た大本の仕組(しぐ)みについてお話したいと思います。
日本地図を単純化して描くとタテの長方形とヨコの長方形が合わさったような形になります。(右の図を参照)
大本の教えではタテとヨコは重要な意味を持っています。
経(タテ)とは厳(いづ)であり、天、男、火、日、出口直を意味する。
緯(ヨコ)とは瑞(みづ)であり、地、女、水、月、王仁三郎を意味する。
また、大本神諭と霊界物語、天国と霊国、綾部の梅松苑と亀岡の天恩郷、というように、厳と瑞(経と緯)の二本立て、というのが大本の非常に大きな特徴である。
緯(ヨコ)とは瑞(みづ)であり、地、女、水、月、王仁三郎を意味する。
また、大本神諭と霊界物語、天国と霊国、綾部の梅松苑と亀岡の天恩郷、というように、厳と瑞(経と緯)の二本立て、というのが大本の非常に大きな特徴である。
【山口】 この経糸と緯糸が交わった「むすび」の位置にあるのが富士山なんだと思います。 そういうタテとヨコの「気の流れ」のようなものを感じながら毎日生活しています。
それはここに住むようになってから感じるようになったんですが、特に3年前に私のうちに王仁三郎の耀琓(ようわん)が来てから、敏感に感じるようになりました。
それはここに住むようになってから感じるようになったんですが、特に3年前に私のうちに王仁三郎の耀琓(ようわん)が来てから、敏感に感じるようになりました。

耀琓 「十和田」
耀琓は「Web 0.0」のデバイスだと思います。
──何ですか、それは?
【山口】 5年くらい前から「Web 2.0」という言葉が使われるようになりました。それ以前のインターネットが始まった頃はいわば“Web 1.0”で、情報が送り手から一方的に発信されていただけだったんですが、Web 2.0というのは双方向で情報がやり取りされるようなものを言います。
しかしそれよりはるか以前に──神々のネットワークが日本中、いや世界中、宇宙中に張り巡らされていたのではないかと思います。
iPhoneのようなデバイスを2.0のデバイスとするなら、耀琓は0.0のデバイスではないのかと思うんです。
王仁三郎が晩年に数千個の耀琓を焼いて、来た人にみんなあげてしまった。今はどこにあるのか分からない。それは耀琓というデバイスを日本中にあちこちに配置して行ったのではないのかと思うんです。
その一つが私のうちにやって来たときに、何かとつながったな、と感じました。たとえばパソコンやiPhoneを買ってインターネットにつながった・・・と感じるように──それ以上の何かとつながったな・・・という実感が湧きました。
「Web(ウェブ)」とはクモの巣の意味ですが、クモの巣も縦糸と横糸が重なって出来ています。
しかしそれよりはるか以前に──神々のネットワークが日本中、いや世界中、宇宙中に張り巡らされていたのではないかと思います。
iPhoneのようなデバイスを2.0のデバイスとするなら、耀琓は0.0のデバイスではないのかと思うんです。
王仁三郎が晩年に数千個の耀琓を焼いて、来た人にみんなあげてしまった。今はどこにあるのか分からない。それは耀琓というデバイスを日本中にあちこちに配置して行ったのではないのかと思うんです。
その一つが私のうちにやって来たときに、何かとつながったな、と感じました。たとえばパソコンやiPhoneを買ってインターネットにつながった・・・と感じるように──それ以上の何かとつながったな・・・という実感が湧きました。
「Web(ウェブ)」とはクモの巣の意味ですが、クモの巣も縦糸と横糸が重なって出来ています。
──なるほど。神々のネットワークにつながる装置(デバイス)というわけですね。
●タテとヨコの「むすび」目●

【山口】 この富士山を交点とするタテとヨコの流れなんですが、大きな仕掛けがあることに気がつきました。
地図を単純化すればタテ、ヨコですが、厳密に言えば斜めに傾いており、艮(東北)と坤(南西)になります。(右の図を参照)
出口氏は、三浦氏や伊勢神官の度会氏の系統のようですが、どちらも水軍と関係しています。海から来た人たちです。地図に当てはめると、ヨコ、坤の方です。
出口王仁三郎はもともと上田喜三郎と言いましたが、上田氏は長野県の上田が出自のようです。こちらは山です。タテ、艮の方です。
また、三浦氏は平氏、上田氏は源氏の系統です。こういう対立し合うような関係なんです。
最初に出口直に艮の金神(国祖・国常立尊)が懸かり、次に王仁三郎に坤の金神(国祖の妻神・豊雲野尊)が懸かりましたが、ヨコ・坤の位置にいる出口氏に(タテの)艮の神様が、タテ・艮の位置にいる上田氏に(ヨコの)坤の神様が懸かったわけで、ここに大きなパラダイムシフトが起きています。これはとてもおもしろいと思います。
出口直は変性男子(霊魂は男で体は女)、王仁三郎は変性女子(霊魂は女で体は男)ですが、このように相反するものを一緒にしてしまう方法論は、他の宗教にはない画期的なものです。
その合一点であり、象徴となるのが、富士山なんです。
禅宗で「不二(ふに)」という言葉があります。二つ別々のもののように思われているものが実は一つである、という考えです。
経糸と緯糸で織り上げられ完成した布は、90度回してしまえば、もう経糸も緯糸も区別がつかなくなります。まさに一つとなって不二となるわけです。
地図を単純化すればタテ、ヨコですが、厳密に言えば斜めに傾いており、艮(東北)と坤(南西)になります。(右の図を参照)
出口氏は、三浦氏や伊勢神官の度会氏の系統のようですが、どちらも水軍と関係しています。海から来た人たちです。地図に当てはめると、ヨコ、坤の方です。
出口王仁三郎はもともと上田喜三郎と言いましたが、上田氏は長野県の上田が出自のようです。こちらは山です。タテ、艮の方です。
また、三浦氏は平氏、上田氏は源氏の系統です。こういう対立し合うような関係なんです。
最初に出口直に艮の金神(国祖・国常立尊)が懸かり、次に王仁三郎に坤の金神(国祖の妻神・豊雲野尊)が懸かりましたが、ヨコ・坤の位置にいる出口氏に(タテの)艮の神様が、タテ・艮の位置にいる上田氏に(ヨコの)坤の神様が懸かったわけで、ここに大きなパラダイムシフトが起きています。これはとてもおもしろいと思います。
出口直は変性男子(霊魂は男で体は女)、王仁三郎は変性女子(霊魂は女で体は男)ですが、このように相反するものを一緒にしてしまう方法論は、他の宗教にはない画期的なものです。
その合一点であり、象徴となるのが、富士山なんです。
禅宗で「不二(ふに)」という言葉があります。二つ別々のもののように思われているものが実は一つである、という考えです。
経糸と緯糸で織り上げられ完成した布は、90度回してしまえば、もう経糸も緯糸も区別がつかなくなります。まさに一つとなって不二となるわけです。
──なるほど! 富士山の名前自体がタテ・ヨコの融合点を表しているんですね!
【山口】 そうです。富士山は経糸と緯糸の結び目なんです。
ちなみに「むすび」とは「産霊」でもあります。対立するものどうしの融合こそが、全ての生命現象の根源ですよね。そうした融合や和合を理想としたのが王仁三郎でしょうし、その象徴的存在が富士山なのではないでしょうか。実際、王仁三郎は富士山を「天教山」と称して非常に重要視していますよね。
余談ですが、7月1日は富士山の山開きの日です。この日、富士北麓地方では、学校の給食に芋とヒジキの煮物が出ます。山の幸と海の幸の融合です。これも単なる偶然ではないと思います。
ちなみに日本神話で山幸(ヒコホホデミノミコト)と海幸(ホデリノミコト)を産んだのは富士浅間神社の祭神であるコノハナサクヤヒメです。
ちなみに「むすび」とは「産霊」でもあります。対立するものどうしの融合こそが、全ての生命現象の根源ですよね。そうした融合や和合を理想としたのが王仁三郎でしょうし、その象徴的存在が富士山なのではないでしょうか。実際、王仁三郎は富士山を「天教山」と称して非常に重要視していますよね。
余談ですが、7月1日は富士山の山開きの日です。この日、富士北麓地方では、学校の給食に芋とヒジキの煮物が出ます。山の幸と海の幸の融合です。これも単なる偶然ではないと思います。
ちなみに日本神話で山幸(ヒコホホデミノミコト)と海幸(ホデリノミコト)を産んだのは富士浅間神社の祭神であるコノハナサクヤヒメです。
●宮下文書と霊界物語●
【山口】 富士吉田には徐福伝説が伝わっています。
秦の始皇帝の命令で不老不死の薬を探すために三千人くらいの人を引き連れて日本にやって来たという徐福の伝説は日本全国あちこちにありますが、一番色濃く残っているのが富士北麓地方です。
秦の始皇帝の命令で不老不死の薬を探すために三千人くらいの人を引き連れて日本にやって来たという徐福の伝説は日本全国あちこちにありますが、一番色濃く残っているのが富士北麓地方です。
──徐福は富士吉田市で亡くなったとお考えですか?
【山口】 徐福本人かどうかは分かりませんけれど、大陸から渡来して来た人が住み着いた可能性は高いと思いますよ。
富士吉田市周辺はとても機織りの盛んな地域で、「羽田(はだ)」さんという名字の家がたくさんあります。渡来系の泰(はた)氏の末裔です。
富士吉田市は富士山のから見て艮の方角にありますが(坤の方角には浅間神社の総本宮がある富士宮市があります)、市内の艮の方に「明見(あすみ)」という地域があります。独特な文化を持った地域です。
富士吉田市周辺はとても機織りの盛んな地域で、「羽田(はだ)」さんという名字の家がたくさんあります。渡来系の泰(はた)氏の末裔です。
富士吉田市は富士山のから見て艮の方角にありますが(坤の方角には浅間神社の総本宮がある富士宮市があります)、市内の艮の方に「明見(あすみ)」という地域があります。独特な文化を持った地域です。
大きな地図で見る | ←富士吉田市の明見(あすみ)地区。住所としては「大明見」と「小明見」という地名が残っている。 |
【山口】 ここに宮下文書(富士古文献)が伝わっています。
宮下文書は超古代文明が記されているということで有名ですが、実は中世以降の記録が多く、特に南朝に関する記録が大半です。明治時代になるまで書き継がれていました。
宮下文書は学術的には全く認められていないアヤしい古文書です。文章の量としてはそれこそ霊界物語と同じくらい膨大な量です。
宮下文書には古事記や日本書紀には出て来ない神様の名前が記されています。記紀では最初に天御中主神が登場し、その後、高御産巣神、神産巣日神の造化三神が出てきますが、宮下文書ではそれ以前に七柱の神様がいたと書かれています。
宮下文書以外にこの神様が出てくるのは霊界物語だけです。
天祥地瑞の最初の方にこの神様が出てきます(第73巻の総説)。
この他にも霊界物語と宮下文書に共通することがいくつかあります。
まず、霊界物語では国祖クニトコタチが引退後、「野立彦(ノダチヒコ)」として天教山(富士山)に現れますが、宮下文書ではクニトコタチが「農立比古」として富士山において高天ケ原の世を展開することになっています。
そして、富士山と並ぶ政庁を丹波の真井(まない)に造営して「桑田の宮(現・亀岡出雲大神宮か?)」と称したという記述もあります。農立比古が亡くなったのも桑田の宮だとされています。さらに、日本海の沓島(めしま、くつじま)の話など、富士山から遠く離れた京都方面の話も宮下文書に出てきます。
明見やその周辺には宮下文書を保管してきた宮下さん(富士大神宮の宮司家)以外にも、宮下さんとか三浦さんがたくさんいます。宮下氏はもともとは三浦氏だったようです(前述のように三浦氏は出口氏のルーツでもある)。
さらに、明見には「舟久保(ふなくぼ)」さんという家もあるんですが、綾部の本宮山(ほんぐうやま)の頂上、月山不二(つきやまふじ)にこの「舟久保」家の庭にあった大きい石が運ばれているんです。
王仁三郎がある時、部下に「明見村の舟久保家に行って石をもらって来い」と命じたそうです。これは富士山が噴火した時に飛んできた石で、村の守り神だったので始めは大本に渡すのを拒否していたようですが、最終的には大本に献納され、本宮山に運ばれました。
宮下文書は超古代文明が記されているということで有名ですが、実は中世以降の記録が多く、特に南朝に関する記録が大半です。明治時代になるまで書き継がれていました。
宮下文書は学術的には全く認められていないアヤしい古文書です。文章の量としてはそれこそ霊界物語と同じくらい膨大な量です。
![]() |
![]() |
明見にある北東本宮小室浅間神社。 宮下文書と最も関係の深い神社。 |
富士山高天ケ原政庁の比定地の 近くに立つ徐福像。 |
![]() |
![]() |
政庁比定地である小山に 建つ徐福祠(徐福の墓とも) |
市販されている宮下文書の 影印本の一部「国常立尊来歴」 |
宮下文書以外にこの神様が出てくるのは霊界物語だけです。
天祥地瑞の最初の方にこの神様が出てきます(第73巻の総説)。
一 天之峯火夫神 (あまのみねひをのかみ)
二 天之高火男神 (あめのたかひをのかみ)
三 天之高地火神 (あめのたかちほのかみ)
四 天之高木比古神 (あめのたかぎひこのかみ)
五 天之草男神 (あめのくさをのかみ)
六 天之高原男神 (あめのたかはらをのかみ)
七 天之御柱比古神 (あめのみはしらひこのかみ)
二 天之高火男神 (あめのたかひをのかみ)
三 天之高地火神 (あめのたかちほのかみ)
四 天之高木比古神 (あめのたかぎひこのかみ)
五 天之草男神 (あめのくさをのかみ)
六 天之高原男神 (あめのたかはらをのかみ)
七 天之御柱比古神 (あめのみはしらひこのかみ)
この他にも霊界物語と宮下文書に共通することがいくつかあります。
まず、霊界物語では国祖クニトコタチが引退後、「野立彦(ノダチヒコ)」として天教山(富士山)に現れますが、宮下文書ではクニトコタチが「農立比古」として富士山において高天ケ原の世を展開することになっています。
そして、富士山と並ぶ政庁を丹波の真井(まない)に造営して「桑田の宮(現・亀岡出雲大神宮か?)」と称したという記述もあります。農立比古が亡くなったのも桑田の宮だとされています。さらに、日本海の沓島(めしま、くつじま)の話など、富士山から遠く離れた京都方面の話も宮下文書に出てきます。
明見やその周辺には宮下文書を保管してきた宮下さん(富士大神宮の宮司家)以外にも、宮下さんとか三浦さんがたくさんいます。宮下氏はもともとは三浦氏だったようです(前述のように三浦氏は出口氏のルーツでもある)。
さらに、明見には「舟久保(ふなくぼ)」さんという家もあるんですが、綾部の本宮山(ほんぐうやま)の頂上、月山不二(つきやまふじ)にこの「舟久保」家の庭にあった大きい石が運ばれているんです。
王仁三郎がある時、部下に「明見村の舟久保家に行って石をもらって来い」と命じたそうです。これは富士山が噴火した時に飛んできた石で、村の守り神だったので始めは大本に渡すのを拒否していたようですが、最終的には大本に献納され、本宮山に運ばれました。
『大本七十年史』はこの石のことを次のように伝えている(下巻P742)
「綾部鶴山の山上では聖師の指揮のもとに、破壊された長生殿の基礎の上に、穹天閣その他の破壊された礎石などの石片をよせあつめ、これに土をかぶせて月山富士を築くこととなった。一九四六(昭和二一)年三月三日作業に着手、六月四日(旧5・5)に完成し、月山富士の鎮祭が執行された。その頂上には、西暦八〇二(延暦二一)年、富士山大噴火のおり、山梨県明見村に落下したとつたえられる霊石を鎮めた。この霊石は第二次大本事件前、信徒の舟久保庄から献納され、本宮山の穹天閣前におかれていたが、事件では破壊をまぬがれ、雨ざらしになっていたものである。月山富士には主神を鎮祭されたが、あわせてこの日聖師によって、“今日はしも陰暦五月の五日なり富士の神霊月山にまつる”“鉢伏の山の神霊もろともに月山富士にまつりたりけり”とよまれている。」
「綾部鶴山の山上では聖師の指揮のもとに、破壊された長生殿の基礎の上に、穹天閣その他の破壊された礎石などの石片をよせあつめ、これに土をかぶせて月山富士を築くこととなった。一九四六(昭和二一)年三月三日作業に着手、六月四日(旧5・5)に完成し、月山富士の鎮祭が執行された。その頂上には、西暦八〇二(延暦二一)年、富士山大噴火のおり、山梨県明見村に落下したとつたえられる霊石を鎮めた。この霊石は第二次大本事件前、信徒の舟久保庄から献納され、本宮山の穹天閣前におかれていたが、事件では破壊をまぬがれ、雨ざらしになっていたものである。月山富士には主神を鎮祭されたが、あわせてこの日聖師によって、“今日はしも陰暦五月の五日なり富士の神霊月山にまつる”“鉢伏の山の神霊もろともに月山富士にまつりたりけり”とよまれている。」

明見の霊石が鎮座している綾部の本宮山(鶴山)
──明見と王仁三郎には何か不思議なつながりがあるんですね。
【山口】 不思議な話です。田舎の小さな町でして、地元の方は大本や出口王仁三郎のこととか、宮下文書のことはほとんど知りません。
王仁三郎は霊的なレベルで──それこそWeb 0.0というレベルで明見村のことを知っていたのでしょう。
王仁三郎は霊的なレベルで──それこそWeb 0.0というレベルで明見村のことを知っていたのでしょう。
●点が一つにつながった●
──山口さんと出口王仁三郎との関わりを教えて下さい。
【山口】 大学時代、同級生に宮下という明見出身の男がいて、彼から宮下文書のことを聞きました。
大学では国語学を学んでいたんですが、私は古文書のマニアでして、宮下文書の実物を見せていただいた時に、これは大変な(アヤシイ)古文書だ、ぜひ研究したいと思い、卒業後は実家の静岡には帰らず、富士吉田市の禅宗系の私立高校に就職しました。
その後、宮下文書に出てくる神様の名前を出口王仁三郎が霊界物語に引用していると知り、そこから王仁三郎に興味を持つようになったんです。
それから、私はいろいろな趣味を持っているんですが、そのどれを極めていっても、必ず王仁三郎にぶち当たるのです。宗教はもちろん、歴史、政治、経済、芸術、武道などなど。これはタダモノではないなと思いました。
また、私は国語の教師ですが、出口汪(王仁魂P会長)と言えば国語の受験界では神様のような存在です。「出口の現代文」は20年も前から有名でして、私も熱心に研究しました。その汪さんが「王仁三郎の曾孫」ということを知った時はたいへん驚きました。
一昨年の秋にブログで出口光(王仁魂P相談役)さんの御著書を紹介したら、それを読んだ光さんがコメントを下さりまして、その後5月の王仁魂復活プロジェクトの設立パーティーに誘われました。そして、そのパーティーに参加した時初めて汪さんとお会いしました。まさかこういう形で受験の神様と会うことが出来るとは・・・。ちょうど中学校を新設するにあたり、汪先生の「論理エンジン」を導入しようとしていた矢先だったこともあり、そのタイミングの良さに驚きました。
大学では国語学を学んでいたんですが、私は古文書のマニアでして、宮下文書の実物を見せていただいた時に、これは大変な(アヤシイ)古文書だ、ぜひ研究したいと思い、卒業後は実家の静岡には帰らず、富士吉田市の禅宗系の私立高校に就職しました。
その後、宮下文書に出てくる神様の名前を出口王仁三郎が霊界物語に引用していると知り、そこから王仁三郎に興味を持つようになったんです。
それから、私はいろいろな趣味を持っているんですが、そのどれを極めていっても、必ず王仁三郎にぶち当たるのです。宗教はもちろん、歴史、政治、経済、芸術、武道などなど。これはタダモノではないなと思いました。
また、私は国語の教師ですが、出口汪(王仁魂P会長)と言えば国語の受験界では神様のような存在です。「出口の現代文」は20年も前から有名でして、私も熱心に研究しました。その汪さんが「王仁三郎の曾孫」ということを知った時はたいへん驚きました。
一昨年の秋にブログで出口光(王仁魂P相談役)さんの御著書を紹介したら、それを読んだ光さんがコメントを下さりまして、その後5月の王仁魂復活プロジェクトの設立パーティーに誘われました。そして、そのパーティーに参加した時初めて汪さんとお会いしました。まさかこういう形で受験の神様と会うことが出来るとは・・・。ちょうど中学校を新設するにあたり、汪先生の「論理エンジン」を導入しようとしていた矢先だったこともあり、そのタイミングの良さに驚きました。

2010年7月の第4回王仁魂講演では山口さんにも講演していただいた。
3年前に耀琓がうちにやって来てから、私が今まで歩んで来たことが一つにつながった、点が一つにつながった、と感じます。まさに網の目のように、経糸と緯糸とがつながって行ったと思います。また自分がやるべきことがはっきりして来ました。教育を通して天命をまっとうし、経糸と緯糸を結ぶ役になれたらいいなと思います。
万教同根、宗教のない世が理想の世だと王仁三郎は言いました。これは実は宗教に限らないことだと思うんです。全ての「コトワケ」されたモノを再び統合、総合、和合させ、新しい生命力にあふれた世界を再創造するのが、王仁三郎の目指したところなのではないでしょうか。私もそういう生き方ができればと思っています。
万教同根、宗教のない世が理想の世だと王仁三郎は言いました。これは実は宗教に限らないことだと思うんです。全ての「コトワケ」されたモノを再び統合、総合、和合させ、新しい生命力にあふれた世界を再創造するのが、王仁三郎の目指したところなのではないでしょうか。私もそういう生き方ができればと思っています。
──山口さん、今日はどうもありがとうございました!
おわり

富士山と富士吉田の町並み