左上の書…出口王仁三郎・揮毫「光」(個人所有のものを許可を得て使用しております)

2011年 節分・丹波 神秘の旅 (中編)

(記・飯塚弘明)
水道の元栓のフタ?も鬼
元伊勢皇大神社の本殿
雪が溶けずに積もっていた
 元伊勢皇大神社(もといせ こうたいじんじゃ)があるのは福知山市大江町です。酒呑童子の鬼退治伝説で有名な大江山の東側にあります。 →グーグルマップ

 さすがにこの辺りまで来ると道の傍らに雪が積もっていました。

 霊界物語の初めの方は、「聖地エルサレム」とか「フサの国」(イランのこと)とか、主に中近東方面が舞台になっていますが、第16巻からは日本の丹波地方が舞台になっています。

 剣尖山(けんさきやま)の麓で、悦子姫(よしこひめ)という名の宣伝使に女神が神懸り、宣伝使一行に次のように告げます。
「われは天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)なるぞ。その昔この山に現れ、産釜・産盥(うぶがま・うぶだらい)と称する天の真奈井(あめのまない)に禊ぎして神格を作り上げたるわが旧蹟なり。汝らここに宮殿を造り、わが御霊(みたま)を祀れ」
 これが伊勢神宮造営の始まりである…と霊界物語に書いてあります。それが大江町の元伊勢皇大神社なのです。要するにここが一番最初の元伊勢だと王仁三郎は言っているのです。

 そしてこの太古の神縁によって、明治34年(1901年)旧3月8日(新4月26日)に「元伊勢お水のご用」と呼ばれるご神業が行われました。

正面の山が剣尖山。城山とも呼ぶ。ピラミッドだという説も。
この写真ではよく分からないが、はるか谷底に宮川があり、そこに産釜・産盥がある。
 剣尖山の麓を流れる「宮川」という谷川に大きな岩石があり、その岩の窪みを「産釜・産盥(うぶがま・うぶだらい)」と呼びます。

 その産釜・産盥から水を汲んでこいという神示が大本開祖・出口なおに降りたのです。これが元伊勢お水のご用で、今年(2011年)はそれから110年目の年に当たります。

 その水は綾部の大本の井戸に注がれた後、若狭湾に浮かぶ無人島、沓島(めしま)の海上に注がれました。そのとき開祖が「この水は三年で世界へ回る。世界が動き出すぞよ」と宣言。果たして3年後に日露戦争が起きて、世界は激動の時代に入って行ったという、そういう水です。

 地元で観光ガイドのボランティアをしている赤松さんに皇大神社の案内をしてもらったので、たいへん助かりました。

 産釜・産盥のある宮川までは谷を下って行かなくてはいけません。今回は時間の都合で下まで降りず、上から遙拝しました。

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元伊勢籠神社
公式サイト
500mほど離れたところにある奥宮の真名井神社
 次の目的地は元伊勢籠神社(もといせ このじんじゃ)です。 →グーグルマップ

 一般に元伊勢と言ったら、この籠神社が一番有名です。

 大江町の皇大神社の祭神は「天照皇大神」ですが、籠神社の祭神は「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」です。

 ホアカリは日本神話では天孫ニニギのお兄さんということになっていますが、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)という長い長い別名があり、アマテラスとホアカリとニギハヤヒ(物部の祖)は同一人物だという説もあります。

 また若狭湾に浮かぶ沓島・冠島(めしま・おしま)も大本に神縁がある霊場ですが、冠島の老人島神社(おいとしまじんじゃ)の祭神もホアカリで、籠神社は元々は冠島の遙拝所だったという説もあります。

 どうやら天皇の祖先は朝鮮半島から若狭湾に上陸してそれから内陸に入って行ったみたいです。

 アマテラスを祭るのは伊勢の内宮ですが、豊受大神(とようけおおかみ)を祭る外宮の方も、最初から伊勢に鎮座していたのではなくて、丹波からやって来ました。

 元外宮と言われている場所も何ヶ所かあり、籠神社の奥宮である真名井神社も豊受大神を祭っています。

 大江町の皇大神社のそばにも元伊勢外宮豊受大神社という豊受大神を祭る神社があります。

「元外宮」の比沼麻奈為神社。
2008年撮影。今回はここには行かなかった。また次回。
久次岳の山中にある大きな磐座。
長さ4〜5mある。
 しかし霊界物語に出てくる元外宮は、京丹後市にある比沼麻奈為神社(ひぬまないじんじゃ)です。 →グーグルマップ

 第17巻第6章で、真名井ケ原の「瑞の宝座」という磐座の上で舞い踊る悦子姫(よしこひめ)に、豊国姫神(とよくにひめのかみ)が懸かり神示を下しますが、これは京丹後市の久次岳(ひさつぐだけ)の山中にある磐座のことで、その山の麓に豊受大神を祭る比沼麻奈為神社が鎮座しています。

 しかしその場所に鎮座する前、はるか古代には、何と綾部の本宮山(ほんぐうやま)に鎮座していたと王仁三郎は言うのです。

 その時に「出口」家が神社に奉仕しており、江戸時代に伊勢の外宮の社家に生まれた神道家・出口延佳(でぐち のぶよし)はその末裔のようです。

 雄略天皇22年(478年)に綾部から伊勢に遷座したんですが、途中、王仁三郎の祖先である上田家の庭が宿泊所に選ばれ、その時、神霊にお供えしていた荒稲の種子がケヤキの老木の腐った穴に落ちて、そこから苗が出た。それを育てて四方へ植え広めたので「穴穂」という名が起こった。それが後に「穴生」になり、「穴尾」になり、今の「穴太」(亀岡市曽我部町穴太)になったと王仁三郎は言っています。

 綾部から伊勢に遷座した後の旧蹟を久次岳の麓に移したのが、比沼麻奈為神社のようです。
 (出口王仁三郎全集第8巻「故郷の二十八年」)
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 まあ、古代史の細かい話はともかく、元伊勢も元外宮も丹波にあるんだということが分かりました。

 丹波地方は京都市と較べてとてもマイナーな地域ですが、実は天皇家のルーツが秘められた場所だったんですね。この事実はあまり知られていませんが、よく考えてみると、かなりスゴイ話です。

 そして、さらに!

 伊勢神宮の元だけでなく、丹波には出雲大社のルーツである「元出雲」もあるのです。

 (続く)
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