左上の書…出口王仁三郎・揮毫「光」(個人所有のものを許可を得て使用しております)

広瀬浩二郎さんインタビュー

(2011年5月吉日、インタビュアー・飯塚弘明)
【インタビュアー】 第七回目の王仁魂インタビューは、『人間解放の福祉論─出口王仁三郎と近代日本』の著者の広瀬浩二郎(ひろせ・こうじろう)さんです。

 この本は広瀬さんが京都大学大学院で博士号を取得した論文の一部に加筆訂正したものです。つまり「王仁三郎」で博士号を取った世界的にも希有な学者で、二回目の王仁魂インタビューに登場した上本雄一郎さんの先輩にあたります。

 今回から「みろくの世」ということを大きなテーマにして、お話しを伺って行こうと思います。

 広瀬さん、よろしくお願いいたします。
【広瀬】 よろしくお願いいたします。
国立民族学博物館 准教授 広瀬浩二郎さん
【広瀬浩二郎さんのプロフィール】
●国立民族学博物館 民族文化研究部 准教授
●1967年、東京生まれ。
●13歳の時に失明。筑波大学附属盲学校から京都大学に進学。
●2000年、同大学院にて文学博士号を取得。専門は日本宗教史、障害者文化論。
●2001年より国立民族学博物館に勤務。2006年、民博において企画展「さわる文字、さわる世界─触文化が創り出すユニバーサル・ミュージアム」を担当。企画展終了後、「触文化」「フリーバリア」などをキーワードとしつつ、“さわる”ことをテーマとする講演、ワークショップを各地で行っている。
●主な著書 『障害者の宗教民族学』(明石書店、1997年)、『人間解放の福祉論─出口王仁三郎と近代日本』(解放出版社、2001年)、『触る門には福来たる─座頭市流フィールドワーカーが行く!』(岩波書店、2004年)など。
●国立民族学博物館 http://www.minpaku.ac.jp/
万博記念公園
 国立民族学博物館(略称・民博)は大阪府吹田市の万博記念公園の中にあります。1974年にオープンし、梅棹忠夫さん(1920年-2010年)が初代館長を務めました。
 梅棹さんは戦後まだ大本が逆賊のイメージで見られていた時代に大本を再評価した人で、1960年に中央公論誌上で発表した論文「日本探検 綾部・亀岡─大本教と世界連邦」が有名です。ちょうど取材当日は「ウメサオタダオ展」を開催していましたが、到着した時間が遅かったために惜しくも見学することが出来ませんでした。
 写真は万博記念公園の入り口に立っている有名な「太陽の塔」(岡本太郎・作)です。
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【インタビュアー】 広瀬さんが王仁三郎を研究しようと思った理由は何でしょうか?
【広瀬】 僕はずっと日本史を研究しているんですが、大学の卒論や修士論文にはイタコや琵琶法師を選びました。その理由は二つあります。

 まず自分が視覚障害者だということ。そして大学三年の時に山伏に興味を持ったので、宗教と障害者の歴史と両方研究できるテーマとしてイタコや琵琶法師を選んだんです。
【編注】琵琶法師とは琵琶を弾ずる盲目の僧侶のことで、平安時代から存在していた。鎌倉時代には平家物語を琵琶に合わせて語る「平曲」が完成。怪談「耳なし芳一」は琵琶法師の芳一が主人公である。)
 修士課程から博士課程に進み、今度は明治以降の新宗教に関心が移って行きました。

 イタコや琵琶法師を研究して行くうちに、イタコ、特に神懸りということに興味を持つようになり、それで天理教とか金光教とかの新宗教を研究するようになったんです。

 歴史の研究をしていると、現代との繋がりが薄くなりがちです。よく「タコツボに入っちゃった」と言われるんですが(笑)、歴史研究のための歴史研究になってしまい、これを研究して社会の役に立つの?と思うようなところがあります。

 その点、新宗教研究は現代に繋がっているかなと思います。現代の生活をよくして行こうというのが新宗教運動ですから。

 新宗教といってもあまり新し過ぎると、歴史学の対象外になってしまいます。ですから江戸末期〜明治初期に生まれた宗教──天理教とか金光教などの教典を読んだり、本部を訪ねたりしました。

 大本も亀岡の本部を訪ねていろいろ教えていただきました。

 どの研究者もそうだと思いますが──大本はちょっと手に負えないな、と思いました。

 とてもおもしろいし、興味はあるんですが……やりだしたら大変なことになるな、と。

 それで最初は天理教とか金光教に力点を置いていたんです。

 その頃、1995年から6年にかけて一年間、アメリカに留学に行くことになりました。

 96年9月に帰国したんですが、30歳近くになっていたし、研究職で食べて行くためには博士論文を書かなくてはいけないので──大本に真剣に取り組んでみようと思ったんです。、

 一年留学して、海外で一人で、目が見えないというハンデキャップを抱えて生活して帰ってきたので、ちょっと人間的に大きくなったかな、成長したかな、という思いもありました。これなら大本研究に取り組めそうだ、と。今思うとまだまだですけど(笑)

 それで96年から本格的に研究を始めたんです。
【インタビュアー】 大本には膨大な文献がありますが、大本神諭や霊界物語はどうやってお読みになられたんですか?
【広瀬】 今はパソコンでずいぶん色々なことが出来ますけど、当時はまだパソコンがそれほど普及していませんでした。

 文献は基本的に点字か、読んでカセットテープに吹き込んでもらって…という形で読みました。

 霊界物語は、大本の信者さんのグループで音読をしているグループがあったので、その人たちからテープを借りて読みました。

 僕は京都大学だったので、上田正昭先生(京大名誉教授、歴史学者。王仁三郎の産土神社である亀岡市穴太の小幡神社の宮司も務めている)に色々と影響を受けました。

 大本教団の人を紹介してもらったり、お祭りを見学したり…。他の新宗教とは異なるおもしろさを大本から感じました。

 しかし教団がやっていることや、言っていることを受け売りしているだけでは論文になりませんので、研究テーマとして何を絞って行くかということを考えてみると、やはり手強いけれど「出口王仁三郎」ということになるんですね。

 お筆先を書いた出口直は、ある意味では、中山みきや金光大神の思想を押し進めて行ったものだと言えるかも知れません。そういう点では他の新宗教とあまり大きな違いはないと言えるでしょう。

 その点、王仁三郎は明らかに違います。ユニークだし、壮大です。どうせ大本を研究するなら王仁三郎を、と決めたわけです。

 俗っぽい言い方をすると、何でこの人はこんなヘンテコなことをしたのだろう、という興味があって、それで王仁三郎にフォーカスして行きました。
【インタビュアー】 私は霊界物語全巻をテキスト化して無料で配布しています。せっかく作ったので読み上げソフトを使って音読できるようにしたいなと思っているんですが、霊界物語は難しい漢字が多いし、旧仮名遣いだし、うまく読み上げることが出来ますかね?
【広瀬】 今の音声読み上げソフトはだいぶ賢くなっています。あまり難しい漢字だと読めませんが、だいたい意味は分かります。旧仮名遣いでも大丈夫です。
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【インタビュアー】 広瀬さんは2001年2月に『人間解放の福祉論』を出して、4月に民博(国立民族学博物館)に就職しています。 その後、王仁三郎の研究は進んでいますか?
広瀬さんの研究室
民博は単なる博物館ではない。「博物館をもった文化人類学・民族学の研究所」であり、大勢の研究者が勤務している。今回は広瀬さんの研究室でインタビューをさせていただいた。
【広瀬】 実は本を出してから、大本のことはあまり勉強していません。

 もっと深く研究を続けなくてはいけないな、という思いもあったんですが、本を書いてとりあえず一段落着いたという安心感もあったんです。

 民博に入ってから、博物館ということについて考えるようになり、今「触る」というテーマに取り組んでいます。

 博物館は「見学」とか「観覧」という言葉があるように、目で見て楽しむ場所、目で見て学ぶ場所です。

 そういう所から一番縁の遠い存在なのが、僕ら目の見えない人たちです。

 研究職とはいえ、せっかく博物館に就職したんだから、目の見えない人たちに来てもらうような博物館を作らなきゃいけないなと思ったんです。

 最初は障害者の方でも楽しめるバリアフリー的なかんじにしようと活動を始めました。

 ところが、それをやっているうちに、「触る」ということに対する見方がだんだん変わって来ました。

 視覚というのは非常に便利です。心理学の統計では、人間が得る情報の7割か8割は視覚情報だと言われてます。

 パッと見て色々な情報が入ってくる。情報の量とか伝達スピードという点では、視覚に優るものはない。視覚は近代という時代にマッチしたメディアだと思います。

 しかし視覚に頼りすぎていると、意外と「触る」ということをしない。そう考えると、目が見える人にも「触る」ということは大切なのではないでしょうか?

 今僕の活動は、目が見えない人にも博物館を楽しんでもらおうというバリアフリー的なものが根底にありますが、それと同時に、目が見えてる人にも、視覚を使わない開放感や、触るということの奥深さを伝えるということに、研究の力点が移っています。

 もちろん琵琶法師も王仁三郎も、ライフワークとして研究は続けて行きます。

 『人間解放の福祉論』にも書いたんですが、王仁三郎の思想を解明して行く上で、芸術・武道・農業というものは大切だと思います。
植芝盛平
王仁三郎の直弟子で、合気道開祖の植芝盛平は「農武一如」を目指した。
 芸術も武道も農業も、身体を使ってやるものですね。

 農業はあまり経験がないんですが、芸術と武道は自分なりに続けています。

 王仁三郎という人は、客観的に見てスゴイ人だと思います。もっと日本人は、いや世界の人は、王仁三郎の思想に触れて欲しいと思います。宗教家という狭い枠に閉じこめるのではなくて、もっと広い視点で捉えて行って欲しいです。

 本を書いてみて、僕なりに、王仁三郎から課題をもらったな、と思います。

 僕は生涯、目が見えないという、これはハンデキャップなのか、あるいは個性なのか分かりませんが、ともかく他人とは違ったものを持っています。

 ですから宗教を研究するときに、この宗教は障害ということをどう考えているのか、ということに関心が向くんですが、王仁三郎の教えには、障害について言及したものがあまりないと思うんですね。

 否定的に見れば、王仁三郎は障害について関心がなかったのか、ということになりますが、積極的な見方をすると、障害なんて関係ないよ〜、ということなのかなと思います。人間を魂のレベルで捉えれば体の障害なんて関係ないわけですから。

 王仁三郎が詠んだ歌に、有名な次の歌があります。

   耳で見て目できき鼻でものくうて 口で嗅がねば神は判らず

 この歌は僕に大きな影響を与えています。

 この歌に「みろくの世」を考えるヒントがあるように思います。

 耳は聴覚、目は視覚、鼻は嗅覚と、人間の感覚を五感で分けるというのは、非常に近代的な考え方だと思うんです。

 ヘレンケラーという人は、耳は聞こえず、目は見えず、五感のうち三つしか使えませんでした。

 従来の考え方だと、三つしか使えないヘレンケラーが、五つ使える人でもなかなか出来ない難しいことをやったので、すごい、と言われるんですが、それは違うと思うんですね。

 ヘレンケラーは表面的には三つしか使えないんですが、ヘレンケラーの中では、その三つを駆使して、五つ使える人と同じレベルのものを処理していたんだと思うんです。

 僕の場合は視覚ですが、視覚を「使えない」のか、視覚を「使わない」のか。

 五つのうち四つしか「使えない」、視覚が「使えない」という発想ではなくて、視覚を「使わない」で、耳とか鼻とかを、もっと伸び伸びと使ってみようよ、そうすると、他の人が気づかないことに気づくことが出来るよ、そういう考え方──目は視覚、耳は聴覚、という使い方だけではなくて、もっと伸び伸びとした使い方があるんじゃないの、ということを教えてくれたのが、あの歌なんです。
【インタビュアー】 なるほど。「触る」というテーマはあの歌の影響があるんですね。
【広瀬】 感覚の深さというか、感覚の多様性ということを考えるという宿題を王仁三郎から与えられたかなと思っています。

 それを具体化するために、今「触る」ということに取り組んでいるのです。

 初めのうちの、目が見えない人たちでも楽しめる博物館を作ろうという考えは、視覚が「使えない」人を触覚で補ってあげようという発想ですけれど、今は多少進んで、視覚を「使わない」で、触覚というものを伸び伸びと使ったら、こんなことが分かるんだよ、という具体例を、視覚を使っている人たちに伝えてあげようという活動をしています。「耳で見て〜」というレベルに少し近づいて来たかな、と僕なりに思っています。

 みろくの世というのは、今の僕の関心から言うと、障害とかいう捉え方ではなくて、人間の感覚の多様性が尊重される時代であると思います。

 世の中の多くの人は、視覚を使っているわけですが、それが全てではないし、それで分からないことも沢山あるのだから、視覚を「使えない」のではなく、視覚を「使わない」のが僕ら視覚障害者なんです。

 僕らは当たり前のように触覚を使います。ドアの前にマットが敷いてあれば、足の裏でそれを見ているのかも知れません。
【インタビュアー】 実は私の人生で、全盲の方と長い会話をしたのは今日が初めてです。正直言って、どんなインタビューになるのかドキドキしてました。

 ふだん人としゃべるときには、身振り手振りを使ったり、顔の表情などでもコミュニケーションを取りますが、そういう技が一切使えないわけですからね。

 今日、広瀬さんと話をして気づいたことは、声だけでコミュニケーションを取るには、その人の魂にしゃべりかける、ということが大切だなと思いました。
【広瀬】 王仁三郎の有名な言葉「声は心の柄(え)だ」というのがあります。僕らは声で判断しますけど、それが魂に届くというのは本当だと思いますね。
【編注】王仁三郎は『玉鏡』の中で「コエは『心の柄』ということである。心だけでは表現出来ないので柄がいる」と説いている
【インタビュアー】 ふだん私は障害のある人と接する機会が少ないんですが、それは小学校の時からですね。大きな身体障害を持った人はいませんでした。

 目の見えない人は盲学校、耳の聞こえない人は聾学校に行き、ある意味、障害者と健常者とを分けて隔離した教育を行っているわけですが、そういう教育の在り方というのは、どう考えますか?
【広瀬】 大学時代の僕だったら、それは絶対、一般の学校に障害者も通うのが自然ですよ、と答えていたと思います。

 僕は中学校から盲学校に通っていますが、盲学校は各県に一つくらいしかありません。僕は電車で一時間くらいの盲学校に通えましたが、田舎だと小さい時から寄宿舎に入らなくてはいけません。それはちょっと不自然な状況だと思います。

 一昔前だと、隔離だから良くないと言ってたと思うんですが、最近は単純にそうとも言えないなと思っています。

 みろくの世になれば、感覚の多様性が尊重される社会になり、一般の地域の学校にみんな通えるようになるでしょうけど、残念ながら今はまだ過渡期です。地域の学校に障害者が行くと、お客様状態になってしまいがちです。

 盲学校や聾学校は、隔離教育で不自然かも知れませんが、視覚を使わない強味、というのは、盲学校で得たことです。

 盲学校でやって来たことを、地域の学校に生かして行く、取り入れて行く、ということをやらなくてはいけないと思います。

 それを実現させて行くことは大変ですが、そういう大変なことを王仁三郎から宿題として貰ったのかな、とも思います。
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【インタビュアー】 先ほど、芸術と武道を続けているとおっしゃってましたが、やはり合気道ですか?
【広瀬】 そうです。今は週に一回通っています。

 大学時代は居合道部に入っていました。ありがたいことに周りの人たちがサポートしてくれて、それに居合道というのはマイナーな武道で部員が少ないということもあり、意外と大事にされていたんです。そこで、自分にも武道が出来るんだ、ということを感じました。

 他にも太極拳とかテコンドーとかもやりましたね。

 アメリカに留学していた時にテコンドーをやったんですが、激しい武道です。もう30歳になるし、激しいのは続かないなと思い、帰国してから、どうせ武道をやるなら大本の関係の合気道だなと思い(【編注】王仁三郎の弟子だった植芝盛平さんが合気道を開いた)、96年の10月から道場に通い始めました。ですからもう15年になりますね。

 合気道は激しいテコンドーと違い、一生続けていける武道だなと思います。

 居合道にしても合気道にしても、目が見えないことはハンデになります。居合いの型を覚える時に、ふつうは師範や先輩の動きを目で見て、真似をするわけですが、僕はそれが出来ません。まず型を覚えるというところに時間がかかってしまいます。

 「守破離(しゅはり)」と言いますが、最初の型を守るという段階ですと、上手な人の真似が出来ないというハンデがありますが、しかし型を破ってオリジナルを作っていくという第二段階になると、必ずしもハンデではありません。

 目が見えると周りが気になって、あの人の型が格好いいから真似してみたいな、とか思うでしょうけど、それが見えないと、純粋に自分のオリジナルが追求できるのかも知れないなと漠然と感じました。ハンデではなく、逆に有利かも知れません。

 合気道も、師範の動きを真似できないんですが、腕を掴んだりする時に接した部分から、気の流れを感じることがあります。

 むしろ視覚に頼らず、視覚を「使わない」方がいいのかなと思います。

 植芝盛平さんが鞍馬山で真っ暗な深夜に、真剣を使って、それを避ける稽古をしたそうです。

 真っ暗ですから、何も見えません。視覚を使えないというより、視覚を使わないで、稽古をしたわけです。

 第六感的なもの、あるいは魂で感じるというレベルでの、いわば視覚を使わない武道というものもあり得るわけです。

 座頭市というのは、あり得るんだと思います。

 身体を使って、感覚の多様性を追求する、その一つとして武道を続けて行きたいですね。

 これもまあ、王仁三郎から貰った宿題なんだと思います。
【インタビュアー】 芸術の方は?
【広瀬】 芸術家になれるようなセンスはないんですが、ここ数年、陶芸のワークショップを開いています。

 三内丸山などの縄文遺跡に行き、本物の縄文土器を触ってみて、そこで得たイマジネーションをもとに土器を作ってみよう、というようなワークショップです。

 インターネットを使えば縄文土器の写真などいくらでも見られるわけですが、それをあえて触ってみる。

 土器はもともと手で作ったんですから、手で触って観賞してみる。

 何千年か前に私たちの御先祖様がこれを作った、それを実際に触ってみるというのは、写真を目で見る、というのとは違った迫力があります。

 視覚だけでは分からないリアリティを知るためには、やはり触ることが必要です。

 王仁三郎が作った耀琓(ようわん)を触らせてもらったことがありますが、王仁三郎が実際に手で作ったものを触っているんだと思うと、やはり感動がありますね。

 農業も、土を触るわけですが、将来やってみたいなと思います。
【インタビュアー】 なるほど。縄文土器には触る楽しみもあったんですね。
【広瀬】 現在は触覚ということにこだわっていますが、聴覚にこだわってもいいでしょうし、感覚というものにアプローチして行くことを続けて行きたいです。

 今は博物館で働いているので、表面的には宗教研究から離れていますが、そもそも宗教というものは、目に見えない領域、視覚では感じられない世界を探求して行くわけですから、広い意味では今やっていることと繋がっているのかなと思います。

 60歳とか70歳とかになって、ここを退職する頃になったら、今まで離れていた宗教研究と、今の「触る」という活動を結びつけて、王仁三郎の宿題に対する答えを出せたらいいなと考えています。
【インタビュアー】 それはたいへん楽しみです。

 今日はどうもありがとうございました。
おわり
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